近年のプーアル茶というとプーアル茶バブルの話題が取り上げられることも多いですが、バブルの前段、プーアル茶ブームはゆっくりと1990年代の台湾で始まります。
年代もののプーアル茶がまだ潤沢にあった時代、号級茶や印級茶がよいものとされ、黄印、緑印、文革磚など今では見ることのないプーアル茶が飲まれていました。80年代のプーアル茶はまだ飲み頃にも達していません。
プーアル茶のブームにはいい面がたくさんあります。
そのひとつが参加者の増大であり、それによる消費者の目です。それまでもプーアル茶を飲んでいた人々が、ブームをきっかけにこだわりをもってプーアル茶と向かい合います。
そのような背景の中、当時国営会社、しかも経営も芳しくない状態の茶廠の作るプーアル茶は、かつて作られた良質のプーアル茶に囲まれていたファンたちにとって、満足のいくものではありませんでした(もちろん88青餅に代表されるようなすばらしいプーアル茶もあります)。
その不満の最たるものが古茶樹によるプーアル茶作りです。
共産党の指示により「効率化」が進められた結果、この時代になると手間隙のかかる古茶樹園での茶作りは良しとされず、新茶園や改良された茶園で詰まれた茶葉でプーアル茶は作られていました。茶作りの自由化が始まった96年以降、愛好家たちの声を受ける形で号級作りを意識したプーアル茶が作られはじめますが、1999年に作られた
'99易昌号はその品質の高さからマーケットに衝撃を与えます。
易昌号はいくつかの点において特別でした。
古樹茶を使ったプーアル茶作り、使用されている茶葉の品質、号級作り。技術的な面でも特別なのですが、それよりも消費者の声にこたえる形で作られたプーアル茶という点において特別でした。'99易昌号をもってプーアル茶作りの新しい時代に入ったといわれます。
その後もプーアル茶ブームは盛り上がりを見せ、いくつもの茶廠が立ち上がり、そしてプーアル茶作りにおいてもこだわりのプーアル茶が作られるようになってきました。
そして、プーアル茶ブームは過熱しいよいよバブルへと姿を変えていきます。