プーアル茶とは4: そのお茶、その2

前回の記事でプーアル茶の原型についての話をしました。
もう一歩踏み込んでみましょう。

雲南省で作られたお茶は、長い時間をかけて長い道のりを旅し、広州までたどり着きました。その長い旅路の中でお茶は熟成し、風味が変わったものがプーアル茶の原型です。

ここで少し話をずらして紅茶についてみてみます。紅茶の文化は中国よりも遠くはなれたヨーロッパで花開きました。茶の産地である中国で一番消費量の多い茶といえば緑茶です。しかし、遠くヨーロッパで花開いたのは緑茶ではなく紅茶でした。その違いはなぜなのでしょうか。

嗜好の違いも当然あるかと思いますが、文化というものはその地の生活と密接に結びついて築かれていきます。たとえばお米が取れる地域では米食文化が発達し、小麦に向いた地方では小麦文化が発展します。お茶についても同じことが言えるかと思います。
新鮮な茶葉が手に入る日本や中国では緑茶の文化が発展し、好まれるようになりました。それと同じようにヨーロッパで紅茶が発展したのはヨーロッパには紅茶が多くたしなまれたためと考えることができます。(紅茶文化の発展については諸説あります)

それではヨーロッパには紅茶が輸出されていたのか?
ヨーロッパへ茶がもたらされたのは1500年に入ってからですが、ヨーロッパに茶が広まっていくのは1600年以降のこととなります。
当時、輸出港として栄えたのは広州ではなくもう少し北東、福建省にあるアモイでした。アモイからはウーロン茶、そして緑茶が輸出されていたとの記録があります。そこに紅茶の記録はありません。

紅茶の起源を見てみると(こちらも諸説ありますが)1700年代に作られたといわれます。それでは1600年以降、ヨーロッパに広まっていった茶はいったい何茶だったのでしょうか。

最初に書いたとおり、雲南省からの長い旅の間に茶葉が熟成し変化したものがプーアル茶の原型です。これと同じことが紅茶にも起こっていたと考えられます。実際、(熟成環境にもよりますが)10年ほど熟成の進んだプーアル茶は紅茶のような香りを持つようになります。

このように時間をかけて輸送された茶葉はその途中で発酵が進み、ヨーロッパに届くころには紅茶のように変化し、結果ヨーロッパではそのような風味を持った茶が広まり紅茶文化へと発展していったと考えることができます。

このような話をすると「緑茶が輸出されているのであれば、酵素は不活化され茶葉の発酵はすすまず緑茶のままである」という意見を聞きますが、それを検証するとためにはもう少し詳しく茶の作り方を見ていかなくてはいけません。

つづく

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  • 2019.11.07 Thursday
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