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常時50種類以上の茶葉を取りそろえているプーアル茶のプーアルカフェ本物のプーアール茶をお届けします。脂肪燃焼効果でおいしく優しくダイエット

  • 2017.10.16 Monday
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沱茶ができるまで

お椀型特徴の沱茶ですが、なぜあの様な形が広まったのでしょうか。
沱茶が作られたのは1902年といわれています。
プーアル茶の形、沱茶
(沱茶に押されているマークは下関茶廠のロゴ)

餅茶にせよ、沱茶にせよお茶なのに固く押し固められています。
なぜお茶が押し固められるのでしょうか?

当時は(それ以前も)雲南茶は重要な交易品でした。交易品であるためその運搬性が非常に大事で、散茶では嵩がはり、擦れてクズ茶となる分も多く、効率が悪く商売にならないため、茶葉はおしかためられる様になりました。

このように茶葉がおしかためられるルーツとされるのはいわゆる「団茶」でその言葉の通り団子状、砲丸状におしかためられていました。

ならば団茶でいいじゃないかと思いますが、団子形では実は問題がありました。
それは保存性です。

丸い団子形では中心部まで乾燥させることが一苦労です。
そもそも中心部まで乾燥させることができず、そのまま茶の劣化させてしまったり、出荷前に乾かすことはできても、輸送中に濡れてしまった茶葉が自然に乾きにくく、保存性の問題があります。

そのような中「発明」された沱茶は画期的でした。
布袋に入れて口を絞りながら型に対して茶葉を押し込むだけので作れる沱茶は作るのも簡単(=コストが安い)です。

しかし何より、その出来上がった沱茶は中央に虚のある形であるため、周囲の暑さを見れば薄く広がっています(団子型と比べて)。
そのため、乾燥しやすく空気の周りも良いので保存性が格段に上がり歩留まりも下がりました。
そして、その保存に向く形状は味わいにも影響を及ぼし美味しく熟成の進む沱茶は人気を博しました。
(販売方法による部分が大きかったともいわれています)

このように大理市で新たに発明された形状のお茶はその消費先である四川省(都会)へ運ばれ消費されました。
このお茶が最初に流行した場所が沱江流域でした(当時は川に沿って流通が進みます)。
そのためこの新しいプーアル茶は沱茶と呼ばれるようになったといわれます。

と沱茶のあらましを簡単に。

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プーアル茶とは10: プーアル茶バブル2

バブルがはじけるとプーアル茶の価格は下がりました。
一説によると、茶葉の価格は1/10とも、ほかの説では2005年の水準に下がったともいわれています。
プーアル茶葉
実感としてはそこまで下がった印象はありません。
毎年あがり続けていた茶の価格が上がらなくなった、またはわずかに下がった程度でしょうか。(このころはまだプーアルカフェもオープンしていなかったので、印象でしか覚えていません。)

茶の値上がりの実感の具合はどこに属するかで違ったかと思います。
商品を回転させなくてはいけないような、投資としてプーアル茶を見る世界ではその値下がりは大きなものだったでしょう。一方でじっくりとプーアル茶を手元においておくような茶商では穏やかでした(それでも大きく値上がりしていましたが)。
インフレ率の高い中国ではプーアル茶の値上がりもほかの商品の値上がりもある意味同様のものともいえます。

しかし、一プーアル茶ファンとしてより大事だったのは、価格の値上がりよりも品質の低下でした。
ブームとともに、消費量が増大し作れば作るほど売れていく状況において、ある調査ではプーアル茶の消費量は雲南省の茶の生産量を超えてさえいました。

プーアル茶には「批」と呼ばれる生産番号(大益のプーアル茶であれば「801」などと書かれているもの)がありますが、この数字の最後の一桁はその年で何回目の生産であるかをあらわすものですが、多くても3-4程度のものがバブルのピーク時には10を超えるものもありました。
このように増大された生産量はそのまま使用茶葉に影響し、結果その後の価値を失い値を下げていきます。そういった茶葉がプーアル茶の評判を下げ、さらに下げるというスパイラルに陥った感もありました。

そのような状況でしたが、特筆したいのは昔に作られたヴィンテージプーアル茶たちです。80年代以前に作られた、質の高いプーアル茶たちはバブルの崩壊を受けてもその値に変化はありませんでした。それどころか、その後も値上がりを続けています。

さて、このように全体で見れば値を下げたプーアル茶ですが、2010年には雲南省を襲った旱魃の影響もありすぐに落ち着きを取り戻します。
その後も順調に回復を続けて、2012年には茶葉の価格も2008年を超えています。

そのような激動の時代の中、2009年にプーアルカフェは生まれました。

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プーアル茶とは9: プーアル茶バブル1

1990年代より始まったプーアル茶ブームは2000年代を通して盛り上がり、2008年に頂点を迎え、そしてはじけました。

台湾で始まったプーアル茶ブームはその後香港へと伝わり、そして中国経済の隆盛とともに中国本土へと伝わっていきました。ブームは過熱しはじめ、2005年ごろになるとバブルという言葉が聞かれるようになりました。

バブルには悪い面がいくつかあります。
プーアル茶ブームの回で書きましたが、ブームでは質の高いファン、愛好家の数が増えプーアル茶にいい影響を与えましたが、その後過熱したブームはさらに多くの人々を巻き込みバブルへと変わっていきます。
バブルに巻き込まれ、バブルをまさにバブルとしたのが投機家たちです。年々価値の上がるプーアル茶は投資という視点から見ると最高の商品となります。
適切に保管してさえいればその価値は下がることなく、プーアル茶の味はよくなり、希少性も高まり結果その価値、ひいては価格が上がっていきます。永遠の輝きを保つもののその本質的価値は変わることのない金よりも、成長すれば価値が上がるが成長しなければ価値の下がる株よりもプーアル茶は財産形成に適したものとさえ考えられました。
もちろん、改めてプーアル茶を飲み、そのおいしさの虜になっていった人たちもたくさんいました。

理由は何であれ、果たしてプーアル茶の価格は高騰します。
それまでたとえば2005年に20万円程度であったビンテージプーアル茶の価格は当然のように100万円を超えていきます。プーアル茶は話題を集め、さらに多くの人がプーアル茶の世界へと足を踏み入れます。新しいプーアル茶であっても作れば作るだけ売れていきます。
そうなると作れば作るだけ売れるので、たくさん作りたい、しかし原料の茶葉ない。そうなると横行するのが品質の低下、偽物です。
プーアル茶ブームはあまりにも急に大きくなったため、偽物を偽物とわからない人たちがたくさん巻き込まれました。偽物作りが儲かるとなると偽物作りの業者も増え、プーアル茶の市場はますます混沌としていきます。

そして2008年、バブルがはじけます。

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プーアル茶とは8: プーアル茶ブーム

99易昌号プーアル茶
近年のプーアル茶というとプーアル茶バブルの話題が取り上げられることも多いですが、バブルの前段、プーアル茶ブームはゆっくりと1990年代の台湾で始まります。

年代もののプーアル茶がまだ潤沢にあった時代、号級茶や印級茶がよいものとされ、黄印、緑印、文革磚など今では見ることのないプーアル茶が飲まれていました。80年代のプーアル茶はまだ飲み頃にも達していません。

プーアル茶のブームにはいい面がたくさんあります。
そのひとつが参加者の増大であり、それによる消費者の目です。それまでもプーアル茶を飲んでいた人々が、ブームをきっかけにこだわりをもってプーアル茶と向かい合います。
そのような背景の中、当時国営会社、しかも経営も芳しくない状態の茶廠の作るプーアル茶は、かつて作られた良質のプーアル茶に囲まれていたファンたちにとって、満足のいくものではありませんでした(もちろん88青餅に代表されるようなすばらしいプーアル茶もあります)。

その不満の最たるものが古茶樹によるプーアル茶作りです。
共産党の指示により「効率化」が進められた結果、この時代になると手間隙のかかる古茶樹園での茶作りは良しとされず、新茶園や改良された茶園で詰まれた茶葉でプーアル茶は作られていました。茶作りの自由化が始まった96年以降、愛好家たちの声を受ける形で号級作りを意識したプーアル茶が作られはじめますが、1999年に作られた'99易昌号はその品質の高さからマーケットに衝撃を与えます。

易昌号はいくつかの点において特別でした。
古樹茶を使ったプーアル茶作り、使用されている茶葉の品質、号級作り。技術的な面でも特別なのですが、それよりも消費者の声にこたえる形で作られたプーアル茶という点において特別でした。'99易昌号をもってプーアル茶作りの新しい時代に入ったといわれます。

その後もプーアル茶ブームは盛り上がりを見せ、いくつもの茶廠が立ち上がり、そしてプーアル茶作りにおいてもこだわりのプーアル茶が作られるようになってきました。

そして、プーアル茶ブームは過熱しいよいよバブルへと姿を変えていきます。


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プーアル茶とは7: プーアル茶文化2

長い歴史をへて独特のもに進化をしたプーアル茶。
そのプーアル茶は、広州で飲茶という形で食文化、さらには広州という商人文化、そして文人文化とともに、ゆっくりと時間をかけ、独特のものへと変化を遂げていきました。

この時代のプーアル茶はいわゆる號級茶、私人茶庄と呼ばれるそれぞれの茶庄のブランドとしてプーアル茶が作られていました。その中には貢茶として朝廷に献上されるもの、高級茶として輸出用として作られるものから一般の人たちが飲むものまでさまざまなプーアル茶がありました。当時世界最先端といわれた中国文化。文化的に卓越し、安定した、長い王朝とともにプーアル茶文化は一つの頂点を迎えたといえます。清王朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀もプーアル茶を愛飲したと伝えられています。

しかし、その安定したプーアル茶作りは、戦争という大きな動乱の中で乱れています。
そして、プーアル茶作りは中華人民共和国の設立とともに大きな変化を遂げていきます。最初の変化は私人茶庄の国営化でした。しかし、生み出されたプーアル茶を見れば、その変化もすばらしいものといってもいいでしょう。紅印圓茶に代表される銘プーアル茶を生み出した後もすばらしいプーアル茶を生み出し続けていきました。
しかし、その後の共産主義の広がりとともにプーアル茶作り自体に変化が生まれていきます。大躍進、そして文化大革命といった政策の実施とともにそれまであったプーアル茶作りは効率の悪いものとして古茶園は切り倒されいきました。そして70年代に生み出されたブレンド技術「配方」。これによって、それまでの古樹茶で作ったプーアル茶は姿を消していきました。それでもおいしいプーアル茶は生み出され続けます。

プーアル茶はもともと何十年も熟成を経て完成し、飲み頃を向かえます。
動機としてはプーアル茶作りの効率化でした。それまでは自然に、または茶商の倉庫の中で行われていた微生物による発酵をプーアル茶作りの工程に取り入れたプーアル茶作りが1973年より始まります。プーアル茶の歴史の中でも最大の発明といわれる熟茶の誕生です。
それまでのプーアル茶における微生物発酵は自然の中で偶発的に、または1950年代ごろより茶商が行っていた、湿度の高い茶倉で行っていた無水、あるいは加水による人為的発酵でしたが、熟茶作りではその微生物発酵を製茶の工程に組み入れることによって新しくともまろやかなプーアル茶が生み出されました。

これらは自然発生的なプーアル茶の技術的進歩とは少し異なる、人為的な変化といえるでしょう。
そして30年の月日がたちプーアル茶ブームが起こります。



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プーアル茶とは6: プーアル茶文化1

文化とは、その地に自然発生し、根付いたものが長い時間をかけて洗練されていきます。

プーアル茶とはその2で広州の地でプーアル茶文化が花開くこととなったと書きました。当時中国唯一の指定港であった広州には中国各地からいろいろな茶が集まりました。そこには茶だけではなく、いろいろな物、人、金も集まります。それは中国国内からだけではなく、世界中から集まってきました。

豊かになった地では新たな文化が生まれ、洗練されていきます。
最初に生まれたのはプーアル茶文化というわけではなく、より広い意味での茶文化でしょう。各地から集まった人がそれぞれ自分の故郷のお茶、好きなお茶を飲む。それが広州に住んでいた人たちにも喫茶の風習として広がり、長い時間をかけて茶文化が育まれていきました。

広州に集まった数多のお茶たち。その中から「プーアル茶の原型」が選ばれプーアル茶文化として花開いていったのでしょうか。

唐代までさかのぼることのできる喫茶の習慣ですが、文人文化などとともに洗練されていきました。談笑し茶を飲む、簡単なおつまみなどと合わせる、詩吟とともに茶を愛でる、茶の香りとお香の香りをあわせるなど、それぞれの時代、場所によってそれぞれ洗練、変化してきました。

一方、広州には有名な言葉「食は広州にあり」があります。
世界中から人、物が集まり発展した広州では大変豊かな食文化が発展し、それとともに茶文化も発展していきました。そこで飲まれるお茶は当然、食べ物に、さらにはその地での生活に合うお茶が選ばれてゆきます。

交易が盛んな商人の町、広州では、食を中心にして物事が進んでいきます。
商売の打ち合わせは食卓を囲んで行われ、茶が飲まれます。飲んでおいしいことはもちろん、食事に合い、さらには食事による体への負担を軽減してくれるものが選ばれていきます。古くからプーアル茶はその減肥効果で知られているプーアル茶はまさにふさわしいお茶と言うことになります。山海珍味が集まる広州では飲茶の形で喫茶の風習は広まりました。点心と呼ばれる小皿料理とともに茶を飲むスタイルは清代になって確立されたと言われます。広州にはいくつもの茶樓が建ち、それぞれの料理、そして茶を競い合います。

そのような中でプーアル茶は洗練され、より美味しいプーアル茶が生まれていきました。

つづきます。


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プーアル茶とは5: そのお茶、その3

前回からの続きです。

最も基本的なお茶の作り方は「プーアル茶とは3: そのお茶、その1」にも書いたように「青殺、揉捻、乾燥」という手順になります。ここで青殺についてもう少し詳しく見てみましょう。

お茶の種類は一般的に茶葉の発酵度(酸化度)の違いとされます。茶葉の発酵(酸化)は茶葉に含まれる酸化酵素によって引き起こされます。
青殺とは茶葉に熱を加え、茶葉に含まれる酸化酵素を不活化する工程です。緑茶やプーアル茶では茶葉を摘んだあとの最初の工程で青殺を行い早い段階で発酵(酸化)をとめます。一方紅茶では青殺は行われず茶葉は完全に発酵(酸化)されます。

青殺の方法には炒、蒸、煮などいくつかありますが、たとえば日本の緑茶では茶葉を蒸すことによって青殺を行いますが、中国では茶葉を炒ることによって青殺を行うことが一般的です。
青殺は現在は機械で行われることが多くなっていますが、昔は大きな鉄鍋で茶葉を炒る形で熱を通していました。実際の現象としては、鍋肌から直接で熱を受けて火が入っていくものもあれば、茶葉の水分によって上がる蒸気で蒸炒めされる状態で火が通されていきました。
とはいえ、茶葉をつむのは山の奥地、そこには立派なかまどが準備されていないこともしばしば、そこで行われる青殺では火は入りきらず、結果茶葉の酵素は完全には不活化されずに残ります。
この残った酵素が長い旅路の中で茶葉に作用して茶葉の発酵は進みます。ヨーロッパまでの航路を長い時間をかけていく間に出荷された時は緑茶であったものも発酵が進み紅茶のようになっていました。
(ヨーロッパに送られた茶の多くが低級茶であったことも関係しています)
このように作られたときの意図から外れる形で生まれてきたものがプーアル茶であり、原始的な紅茶でもありました。

ここからは話をプーアル茶に戻しましょう。
プーアル茶にはもうひとつ大事な要素がありました。それは成型です。出来上がった茶葉は餅茶などの固形茶の形に押し固められました。これは輸送のしやすさの面で大事な工程でしたが、じつは味の面においても重要な役割があります。

プーアル茶に限らず、お茶には味と香りという二つの大きな要素がありますが、この中で香りは茶成分の中でも揮発性のあるものとなります。日本茶を例に挙げますが、緑茶である日本茶は新茶であることが喜ばれます。逆に古くなり香りが抜けたお茶はぼけた味となりその価値は下がります。そのため、お茶は茶缶や茶箱のように気密性が高く香気成分が抜けないように十分に気をつけて保存されます。
プーアル茶は成型されることによってその気密性が保たれます。最近はゆるめに押し固められたプーアル茶も多くなりましたが、伝統的なプーアル茶作りでは茶葉はしっかりと固く押し固められます。押し固められることによって余分な空気は抜かれ、茶葉は外気から遮断されます。一方、香気成分は茶葉の中から抜け出さずに茶葉の中に保たれます。
このようにして茶葉の中に保たれた香気成分は長期にわたる熟成を経てだんだんと変化し陳香などプーアル茶独特の香りへと変化していきます。

酵素を残すことによって茶葉に熟成の余地を残し、さらに長期の熟成でもおいしさを保つ状態に仕上げる。雲南省で作られた茶は長い旅路を行くあいだに熟成し、広州の地にてプーアル茶文化は花開きました。

プーアル茶の原型は見えてきました。つづいてはプーアル茶文化について見ていきましょう。


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プーアル茶とは4: そのお茶、その2

前回の記事でプーアル茶の原型についての話をしました。
もう一歩踏み込んでみましょう。

雲南省で作られたお茶は、長い時間をかけて長い道のりを旅し、広州までたどり着きました。その長い旅路の中でお茶は熟成し、風味が変わったものがプーアル茶の原型です。

ここで少し話をずらして紅茶についてみてみます。紅茶の文化は中国よりも遠くはなれたヨーロッパで花開きました。茶の産地である中国で一番消費量の多い茶といえば緑茶です。しかし、遠くヨーロッパで花開いたのは緑茶ではなく紅茶でした。その違いはなぜなのでしょうか。

嗜好の違いも当然あるかと思いますが、文化というものはその地の生活と密接に結びついて築かれていきます。たとえばお米が取れる地域では米食文化が発達し、小麦に向いた地方では小麦文化が発展します。お茶についても同じことが言えるかと思います。
新鮮な茶葉が手に入る日本や中国では緑茶の文化が発展し、好まれるようになりました。それと同じようにヨーロッパで紅茶が発展したのはヨーロッパには紅茶が多くたしなまれたためと考えることができます。(紅茶文化の発展については諸説あります)

それではヨーロッパには紅茶が輸出されていたのか?
ヨーロッパへ茶がもたらされたのは1500年に入ってからですが、ヨーロッパに茶が広まっていくのは1600年以降のこととなります。
当時、輸出港として栄えたのは広州ではなくもう少し北東、福建省にあるアモイでした。アモイからはウーロン茶、そして緑茶が輸出されていたとの記録があります。そこに紅茶の記録はありません。

紅茶の起源を見てみると(こちらも諸説ありますが)1700年代に作られたといわれます。それでは1600年以降、ヨーロッパに広まっていった茶はいったい何茶だったのでしょうか。

最初に書いたとおり、雲南省からの長い旅の間に茶葉が熟成し変化したものがプーアル茶の原型です。これと同じことが紅茶にも起こっていたと考えられます。実際、(熟成環境にもよりますが)10年ほど熟成の進んだプーアル茶は紅茶のような香りを持つようになります。

このように時間をかけて輸送された茶葉はその途中で発酵が進み、ヨーロッパに届くころには紅茶のように変化し、結果ヨーロッパではそのような風味を持った茶が広まり紅茶文化へと発展していったと考えることができます。

このような話をすると「緑茶が輸出されているのであれば、酵素は不活化され茶葉の発酵はすすまず緑茶のままである」という意見を聞きますが、それを検証するとためにはもう少し詳しく茶の作り方を見ていかなくてはいけません。

つづく

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プーアル茶とは3: そのお茶、その1

間が開きましたがプーアル茶について、その3です。(前回はこちら

輸出のために中国南東部、広州に集められたプーアル茶。
その場でプーアル茶文化は華開いて行きました。

そのお茶はどのようなお茶だったのでしょうか。

当時はまだ熟茶はありませんでした。
作られていたのは雲南の地で長い時間をかけ発展してきたお茶です。
それは生茶は茶葉を摘んだ後、青殺、そして柔捻、乾燥され仕上がります。
その後、輸送しやすいよう餅茶などの形に押し固められ完成となります。

このような手順で作られたお茶は基本適に緑茶に近いものとなります。

そしてそのお茶は雲南の地から港のある広州まで運ばれていきました。
自動車などもちろんない当時、雲南から広州までは馬の背に乗せて、あるいは人力で運ばれていきました。その道のりも険しく、道なき道を人馬の力で広州まで運ぶというのは気の遠くなる話です。

運ぶ道すがら、直接雨にぬれることもあります。当時は完全に防水ができるようなものはありません。
雨が降らずとも茶葉は自然と湿気を吸い込みます。水分を含んだ茶葉は温暖な中国南部を旅する間に発酵し、そして輸送にかかる時間によって熟成が進みます。

すべての交易品が広州まで直接届けられるわけではなく、届けられるまで各地にとどまることも多くありました。
そのため、広州に届くまでにかかる時間は数ヶ月、場合によっては数年に及ぶこともありました。

そのような状況の下で、雲南省で作られたお茶は広州に届くころにはまるで違うお茶に変化していました。
これがプーアル茶の最初の姿となります。

とはいえ、これだけでは片手落ちの議論となってしまいます。
もう少し見てみましょう。

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プーアル茶とは2: そのはじまり

プーアル茶について、続きです。

プーアル茶ては雲南省の普洱府で取引されている茶がいつしかプーアル茶と呼ばれるようになりました。
普洱府で取引されていた雲南茶がプーアル茶。
それはもっともらしく聞こえますが、ここでプーアル茶の消費について考えて見ます。

プーアル茶ブームの広がりとともに現在は上海や北京、さらには韓国など場所を問わず飲まれるようになりましたが、つい10年ほど前まではプーアル茶の消費地といえば広州や香港、そして台湾でした。
反対に産地である雲南省ではプーアル茶をたしなむという話は聞くことがありませんでした。

広州など一見、雲南省とは関係のなさそうな遠く離れた地でプーアル茶文化が栄えた理由はなぜでしょうか?

茶の歴史を紐解けば、それはすなわち交易の歴史でもあります。
1000年以上の昔から近代までは茶は大変重要な交易品でした。

最初の茶の交易としてはチベットへと続く「茶馬古道」が知られています。
この茶馬古道はチベットを抜け、ネパール、インド、そして中東のあたりまで続いたとされます。

その後歴史が進むにつれて中国の茶馬は遠くヨーロッパまで運ばれることになります。
茶が初めてヨーロッパにもたらされたのは1500年代初頭という記録があります。そして嗜好品として消費されるようになったのは1600年代になってからです。

当時の王朝である、清朝は海外との交易を行っておらず、これらの茶は基本的に私貿易を通じて送られていましたが、その後いろいろな経緯をへて、17世紀終盤になると広州が指定港となりました。

前回のブログで普洱府がプーアル茶の語源となったと書きましたが、その普洱府が制定されたのも18世紀のはじめとなります。
つまり、雲南省の普洱府に集積され、広州まで運ばれてきた茶が広州の人々に好まれた。
これがプーアル茶の直接の原型といえます。

ではなぜプーアル茶は広州で好まれ、そこでプーアル茶文化が華開くこととなっていったのでしょうか。
それにはプーアル茶とはどのようなお茶であるかを見て行く必要がありそうです。

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